第4章.蔓無源氏が発売されるまで
このように出来上がった「蔓無源氏」ですが、発売されるまでは、また紆余曲折ありました。初年度の芋の収穫量は3.5トンだったのですが、国分酒造では小仕込みというのができないため、コガネセンガンを5.5トン混ぜて仕込み、蔓無源氏の使用割合は4割にも満たないという状況でした。使用割合が少なかったことが影響して、蒸留後数ヶ月経っても、「大正の一滴」との違いがあまり出ませんでした。
そんな折、平成18年4月、農家の谷山さんから連絡が入りました。今年の「蔓無源氏」の植え付けをどのくらいすればよいかとのことでした。前年11月の芋の収穫時に、私たちは「来年は蔓無源氏をもっとたくさん作って下さい」とお願いしていたので、谷山さんも、種芋もたくさん準備していました。
「味の違いがあまりないのに、これからも蔓無源氏を使って焼酎を造り続ける意味があるのか...」どうすれば良いか、非常に迷いました。でも、谷山さんにも早く返事をしなければならない...そんな中で、今から考えれば、私たちはとても失礼なことをしてしまいました。というのも、一度谷山さんに「来年からは蔓無源氏を作らなくてもいいです」との返事をしてしまったのです。製品化できるかどうか全く分からないのに、谷山さんは、10本の苗から一生懸命頑張って、蔓無源氏を育ててくれました。そして3年がかりでようやく収穫できたのに、私たちは簡単に断ってしまったと...後から聞いた話ですが、この後、谷山さんはとてもがっかりしていたそうです。谷山さんからしてみれば当然ですよね。この場をお借りして、谷山さんに深くお詫び申し上げます。
こんな状況下で、どうして「蔓無源氏」が復活したかというと、谷山さんに断ってから間もなく、とある酒屋さんがやってきて、この蔓無源氏を試飲したところ、「絶対販売すべきだ」との返事をもらいました。私たちが飲んで、「大正の一滴」とそれほど違いを感じなかったのに、この酒屋さんは、なぜか非常に気に入ってくれました。今から考えれば、この言葉があったから、現在の「蔓無源氏」が存在していると言えると思います。神のお告げのようで、今でも心から感謝しています。どうもありがとうございました。
ということで、谷山さんにも早速連絡して、芋の苗の植え付けのお願いをしました。谷山さんは、このような態度をとった私たちにも関わらず、快く引き受けて下さいました。
このように、熱心な方々のおかげで、現在の「蔓無源氏」が造られておりまして、このことをこれからも肝に銘じてゆきたいと思っています。
このような経緯で「蔓無源氏」は何とか生き延びてこれたのですが、「大正の一滴」との違いが本当に出てくるのか、非常に不安な毎日を過ごしました。そんな中で、夏場あたりから、徐々に、「蔓無源氏」らしい甘さが出てくるようになってきました。夏を超すことでこれだけ味の違いが出る焼酎というのは初めてでした。そして、出荷前の10月になると、「大正の一滴」とは確実に違う味わいになっていました。
そして、平成18年10月に、初めて芋焼酎「蔓無源氏」が瓶詰めされました。「蔓無源氏」の書体は、地元の書家で、私の小学校からの同級生のお父さんである、南白雲先生に書いていただきました。本当にいろんな方のご協力で出来上がった焼酎だと、つくづく感じます。

南白雲先生に書いて頂いた書体
そして、いよいよ発売されることになりましたが、発売にあたって、不安もありました。折しも、焼酎ブームがかなり落ち着き、市場にはあらゆる新商品が出回っているのに、なかなか定着しないそんな状況でした。「こんな状況下で、本当にお客様は受け入れてくれるだろうか」
そんな中、発売間もない、平成18年10月の後半に、大阪の飲食店さんで、焼酎の会がありました。この会に「蔓無源氏」を皆さんに飲んで頂いたところ、自分でもびっくりするぐらいの反響を頂きました。「とっても甘い」「おいしい」といった声をたくさん頂きました。また、別の焼酎の会では「最初に蔓無源氏を飲んだら、その後他の焼酎が飲めなくなった」とおっしゃられる方もいらっしゃいました。